blue et blue

佐久間正英が遺したもう一つの種。素朴にして可憐、寡黙にして強靭。blue et bleu、最初で最後の一枚が今静かに花をひらく。
blue et bleu

2015.1.21 WED on sale

1st mini album「blue et bleu」

全5曲 1,667円+税 BZCS-1117

収録曲

    1. Fall
    作詞:佐久間正英 作曲:佐久間正英 編曲:木村達司
    2. Dormir
    作詞 作曲:佐久間正英、木村達司 編曲:木村達司
    3. Silver moondtght
    作詞 作曲:佐久間正英 編曲:木村達司
    4. Overture
    作詞:ゆあさみちる 作曲:佐久間正英 編曲:佐久間音哉
    5. Close my eyes
    作詞 作曲:佐久間正英 編曲:木村達司

PV

PROFILE

blue et bleu(ブルー・エ・ブリュ)

Vocal “ゆあさみちる”、All instruments“佐久間正英”からなる2人組ユニット。

"ゆあさみちる"と"佐久間正英"の出会い ゆあさが16歳の時に出場した『高校生ボーカリストコンテスト』にてグランプリを獲得したのがきっかけ。この大会の会場となった専門学校の特別講師が、後に blue et bleuとして共に活動を始める佐久間であり、ゆあさの歌に佐久間は一発で惚れ込む。それ以降、複数の有名プロデューサーからラブコールを受けたゆあさが選んだのが佐久間であった。

blue et bleu はライブを数回行なっており、今作のリード曲でもある「Fall」のMusic Videoでは希少なライブ映像が使われている。今作はリリースにあたり佐久間正英と親交があったスタッフで構成されており、blue et bleuのライブを常に撮影し続けた映像ディレクターで『kampsite』プロデューサーでもある“川村ケンスケ”がMVを担当。ジャケット・デザインはビジュアルアーティスト“ミック・イタヤ”が、マスタリングはエンジニア“オノ・ セイゲン”がそれぞれ担当している。
【WEB site】 www.facebook.com/the.blueetbleu
【クロスフェード試聴】http://youtu.be/MKNcE-DPiZ8

BIOGRAPHY

  • ゆあさみちるVocal
  • 佐久間正英Guitar, Multi-instrumentalist
  • 木村達司Produce
  • 1989年 12月21日生まれ。
    2003年 14歳から声楽を学び始める。
    2004年 15歳NHKのど自慢出場 新潟県湯沢町大会にて今週のチャンピオンを獲得。
    2005年 16歳高校生ボーカリストコンテスト出場 グランプリを獲得。
    2006年 17歳NHKのど自慢 新潟県聖籠町大会にて今週のチャンピオンを獲得。
    この頃より佐久間正英氏との やりとりが本格的に始まる。
    2007年 18歳専門学校に入学。
    学校で出会った 杉本広太(現asobiusのguitar)と出会い、『ひととせ』というユニットを始める。
    2011年 21歳『ひととせ』解散。
    佐久間氏と「blue et bleu」としてライブ活動、楽曲制作を始める。
    佐久間正英氏が亡くなった現在はソロでjazz、ポップスを中心に ライブハウス、クラブなどで幅広く活躍中。
    最近ではパナソニック プライベートビエラのCMソングを歌う。
    http://music-net.net/panasonic-michiru/
  • 1952年 3月 東京都文京区生まれ。
    1964年 杉並区立中瀬中学校入学。吹奏楽部に入部。トランペットを始める。入部と共に本格的に音楽の勉強を始める。同時期からギターも始める。
    1965年 13歳「The Specters」結成。オリジナル楽曲を演奏開始。以後、高校卒業時まで同メンバーで活動。
    1967年 都立杉並高校入学。
    1968年 初のコンサートを武蔵野公会堂にて開催。都立西高に在学中のキーボード奏者茂木由多加(後に四人囃子等)と知り合う。同年「グヤトーン・バンド・コンテスト」にて入賞。
    1970年 和光大学人文学部人間関係学科入学。フォーク・グループ「ノアの箱船」を茂木由多加、山下幸子と結成。その後メンバーの変遷を経て1971年「万華鏡」結成。ライオン・フォーク・ビレッジで入賞。プロ・デビュー直前に事務所とのトラブルにより解散。
    1973年 Kb.茂木由多加、Dr.宇都宮カズ(後に高橋直人が参加)とキーボード・トリオ「MythTouch」結成。ギターからベースへ転向。四人囃子、安全バンド等と共に”浦和ロックンロール・センター”を拠点として活動。
    1975年 和光大学卒業後、「四人囃子」にベーシストとして参加。以後作・編曲家、スタジオ・ミュージシャンとしてのインディペンデントな活動を開始。
    1978年 「Plastics」に参加。
    1979年 四人囃子5th Album「Neo-N」発表後活動休止。「P-Model」の1st Album「In A Model Room」をプロデュース。「The Plastics」イギリス、ラフトレードよりデビュー。
    1980年 「Plastics」ワールド・ツァー開始。同時期よりCM 音楽作曲、アイドル・ポップスの作・編曲、映画音楽等を手掛け始める。
    1981年 「Plastics」解散。
    1984年 初 Solo Album「Lisa」(果樹園のリサ)JVC からリリース。「根津甚八」アルバム「+B」プロデュース。初のベルリンレコーディングでエンジニア Michael Zimmerling と出会い、その後数多くのレコーディング・セッションを共にする。
    1985年 「BOOWY」「The Street Sliders」のプロデュース。同時期よりプロデューサーとしての活動が増える。
    1991年 ソロ 2作目「in a garden」、3作目「REPLAY」を東芝 EMI より同時リリース。レコーディング・スタジオ「dog house studio」開設。
    1992年 ソロ 4作目「SANE DREAM」リリース。
    1999年 「NiNa」結成。「GLAY EXPO」幕張 20万人ライブ出演。
    2002年 佐久間が中心となってビビアン・スー、土屋昌巳、ミック・カーン、屋敷豪太らと「The d.e.p」結成。
    2003年 早川義夫とユニット「Ces Chiens」(セ・シアン)結成。
    2008年 若菜拓馬、星山哲也、砂山淳一、佐久間音哉らと「unsuspected monogram」結成。
    2010年 2月 "Goodnight_to_followers"、通称"おやすみ音楽"として毎晩、曲を作成しネット上に無料でアップロード開始。
    2011年 ゆあさみちると「blue et bleu」としての活動開始。
    2013年 8月 自身の Blog で「goodbye world」と題し、末期のスキルス胃がんであることを公表。病気の公表後も精力的にプロデュース活動、ライブ活動を行う。
    2014年 1月16日永眠。
  • 1961年、宮城県に生まれる。
    幼稚園、小学校と続けたバイオリンの修練を中学校入学時に止める。その後音楽とはほぽ無縁の生活を送り大学入学のために上京。
    在学中にアルバイト先で誘われたバンドで甲田益也子と出会い生音と電子音によるハイブリッドなオルタネイティブ・ポップユニット、dip in the poolを結成。独特の音楽センスとファッショナブルなヴィジュアルが話題を呼び、1985年、イギリスはラフ・トレード、ヨーロッパ他ではヴァージン・レコード、日本ではアルファ・ムーン・レコードよりデビュー。国内で9枚、海外で3枚のアルバムをリリース。
    木村達司の作る繊細でミニマルなトラックと透明感のある甲田益也子のボーカルのマッチングによる浮遊感溢れるONE AND ONLY のスタイルをブレる事無く貫き続けている。その後、活動の中心である dip in the pool 以外にも他アーティストのプロデュースやアレンジ、CM や映画音楽を多数手掛ける。
    2013年 6月にはモーガン・フィッシャー(元モット・ザ・フープ ル etc.)、安田寿之(元 Fantastic Plastic Machine etc.)と共に新ユニット Portmanteauを結成。同名のアンビエント・アルバムをリリース。
    2015年 1月には dip in the pool 10枚目のアルバム「HIGHWIRE WALKER」をリリースする。